Twitter規制?

 

過去幾度も、ソーシャルメディアが、ネガティブな結果を生み出す原因になった、と指摘されたことがあります。ありていにいうと、今回の座間の痛ましい事件の背景として、犠牲者たちがSNS経由で犯人とつながってしまった、それが犯罪を助長することになったという批判のことです。

同様の批判は、かなり以前から、それこそミクシィ全盛時代の頃からありました。つい先ごろも、同級生同士のLINEグループでの口論が集団リンチにエスカレートし、「LINE殺人事件」と大々的に報じられてしまったのは記憶に新しいところです。

そして、今回のショッキングな事件のあまりの異常性に、ついに政府が、異例の「ソーシャルメディア規制」とも取れるステイトメントを発表しました。

座間9遺体事件で「Twitter規制検討」 ネットには反発の声 (HUFFPOST)

 

引用記事の中にもあるとおり、菅官房長官は、あくまで事件の再発防止のため規制を含めた検討を行う、と言っただけですが、表現の自由等の基本的人権にも関わりかねない事であるため、百家争鳴状態になっています。

ソーシャルメディアが、ユーザーとユーザーが直に関わる場である以上、そこには、良い関係も悪い関係も生じ得ます。ソーシャルメディア業者は、プラットフォームを提供しているだけなので、そこで何が起ころうと基本的には関知しない、というスタンスですが、その言い分が通るか通らないかも、程度問題ではあるでしょう。文字通り、社会(ソーシャル)の秩序や安寧を保つための努力を行う義務は、プラットフォーマーにも当然求められることであるからです。

もちろん、政府が検討するという規制が、なんらかの政治的意図を持った言論封殺的なものであるなら、あるいは個人の基本的な自由を侵害するものであるなら、それは許される事ではありません。しかし、そうした規制を呼び寄せないようにするため、プラットフォーマーにも、当然そこでの表現者の立場においても、事前の犯罪防止努力を行う責務はあると思います。報じられているような、Twitter社側のさまざまな対応の遅れは、今後、すみやかに改善されるよう望むものです。

いっぽう、ソーシャルメディアを通じてユーザーとコミュニケーションするわれわれ企業としても、こうした、自社が社会に対し負う義務について、無関心であることは許されません。誰かに怒られるから対策を行うのではなく、利益追求以前の、自社が社会に存在する意義を問い直してみて、そこから対策を考え直してみることが必要になりますね。